“人に話しかけられる=邪魔”を楽観視できるかどうか

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人生


最近友達の家に居候していて
島暮らしを体験しているいかとんです

島に来てからというもの
知らない人に話しかけられる機会というのが
更に増えたなあと感じています

なので知らない人に話しかけられる人は
どんな人なのか調べたりしたのですが、
ちょっと自分なりに解釈していきますね


3日連続で話しかけられている

最近は島に来てからというもの
3日間連続ぐらいで知らない方に話しかけられてています

1人目はおばあちゃんで
海岸を眺めながらぼーっと黄昏ている時に、後ろから「綺麗か!」と急に話しかけられました
確かに対岸の夜景は綺麗だった…

2人目はお店の人で
ネパール料理屋の店長さんから「どこから来タノ?」なんて尋ねられちゃいました
(そんなアジア顔してるかな?🤔)


3人目はおじいちゃんで
ぼーっと立ってたおじいちゃんの横を、友達と3人で通りすがる時に何故かぼくだけ手招きされて、「どこ出身だ?」なんて聞かれて5分少々喋ったりしてました


こんなことは結構ザラにあって

外国人に道を聞かれることや
観光客から「写真撮ってください!」とか
新幹線でおばあちゃんからチョコをもらうまで仲良くなったりもしました


そんなこんなで

“知らない人に話しかけられる”

経験が蓄積してきたので

なんで話しかけられるのか調べてみました


スピリチュアルな神秘的なオーラがあるっぽい


具体的にこうだ!って表されていることはなくて

その人自身に何かオーラが纏っているから
人を呼び寄せるなんて記事が多かったですね

あとは

オープンな態度
話しかけやすそうな雰囲気
目線が合う
赤ちゃんや動物からも好かれる


とか、、、


結局答えはなんやねん!!


って結果になりました。笑

まあ答えはないんでしょうね


なので、

何故話しかけられるのか自分と照らし合わせて考えてみました


いかとん考察「なぜ人から話しかけられるのか」


個人的に、話しかけられるのかについて
ぼくは通年で誰かに話しかけられることがあるので「なぜ話しかけられるのか」考察してみました


個人的見解


そもそも知らない人に話しかけられたくないわけではないので
話しかけてもらって全然大丈夫だと常に思っています


正直“人に話しかけられる”って言う
ネタ的な要素もおいしいと思っている

ところもありますし、

基本的に困っている人は助けられるので有れば
助けた方が絶対に良いと思っているからです

別にこれは好感度を上げたいとか、良い人になりたい

とかじゃ全然なくて

その場で自分でその人の問題を解決できるのなら
それでその人もハッピーになれるので
だったら全然対応しても良くないかってことですね


「時間ギリギリの時でもそうしますか?」「予定ある時でもできますか?」




なんて言われそうですけど

その時でもできる限り対応はしますね


その場でぼくが対応して満足されたらそこで終わりですし
何か問題があったらちょっとでも満足してもらったら良いじゃないですか
もうほんとギリギリだったら駅員とかに託すとかでもいいじゃないですか(どーゆー場面?)


だったらなんか少しでも
その場で少しでも対応してあげますね


その自分のできる範囲でやれるなら手伝いますよ?対応しますよ?っていうメンタルがあって、それが内側から出ているから話しかけられるのですかね?


他者からの観点


基本的には焦ることをしたくない人なので
時間ギリギリになっても時間に間に合えば良い

という考え方に切り替わったり

せかせかすることはあまりないです


なので、

<急いでいるので話しかけないでください>


オーラなんかは出していないと思います


その時点で
まず話しかけられやすいのかもしれませんね


どういうことか

電話で誰かと話しているサラリーマンよりも
時計を見ながら駆け足で駆けるOLよりも
音楽をヘッドホンで聴いてスマホ触っている学生よりも
(ぼくはイヤホンしてても話しかけられました笑)


どっちが話しかけやすいか



話しかけないでくださいオーラを放っているより

圧倒的に話しかけやすいのかもしれませんね



“話しかけられる=邪魔”じゃないよね


人に話しかけられるって
たぶん会社員とかだと


「人に話しかけるのはその人の時間を奪うということなので、話す側は低い態度を取るべきだ」



なんて新入社員の時に学ぶはずです。


そのせいで

人から話しかけられること=邪魔

が成り立ってしまっていると思います

でも実際はそんなことないじゃないですか


プロジェクトの進捗を聞くために話しかけるのは、事業部のために聞いていることで邪魔じゃないし
アルバイトが店長に在庫の確認をするにしても、それはお店のために聞いていることで邪魔じゃない


つまり話しかけられることを邪魔だっていう
認識自体が間違っているんじゃないかなと思います



たしかに、

何回も同じことを聞くだとか
ホームページや事業書に書いてあることを聞くとか

そういう場合は時間を奪うに値するかもしれません

でも困っていることを解決するとか
助けて欲しい時に声をかけるっていうのは必要なことであって

必ずしも”話しかけること=邪魔”は成り立たないんじゃないかと思いますね



邪魔を楽観視できるかできないか


話しかけられることもその人とのその会話は
実はすごく短い時間ですし
そのくらいの時間がなくなっただけで
何か自分にとって都合の悪いとてつもないことが起きるわけじゃないと思います

(終電間際に話しかけられて終電を逃しそうになったのは困りましたが、笑)




その時のその人との一期一憂を別になんとも思わず接せれるか
もっと言えばその人とその時間があるから

何か面白いことに繋がるかも

なんて思えるかでもそもそも人から話しかけられる率は
上がるんじゃないかと思います


ぼくは話しかけられたら“おいしい”と思ってしまう人になっているので
いつでも話しかけられて良いなと思ってしまっています



一般的に見たら

邪魔を楽観視している

んですよね




話が若干逸れましたがまとめると

話しかけられても良いと思えるメンタルを整えているからこそ
いつでも人に話しかけられても対応する回数も増えているってわけですね


この邪魔を楽観視できるかどうか

ブログ書いている人にとってはネタやコンテンツとして考えれるかどうかにも
繋がってくるんじゃないかなと思います



個人的にはもっと話しかけられたいなと思います笑



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