盲目的な日常に目を落とす

photo by ikaton
フィルムカメラ


フィルムカメラを毎日撮っていた日々から
約1ヶ月が過ぎようとしている中
今と夏の頃と一つの意識が変わっているなと感じていました


それらをフィルムカメラの枠に捉われず
言語化していきたいと思います


記録と記憶を残す


休職期間中の毎日を写真に納めようと
7月から毎日必ず1枚は撮っていたフィルムカメラ


そもそもなぜ1日一枚を必ず撮ろうと決めたのか


理由としては2つ


1つ目は、休職期間の残り1ヶ月半を記録として残しておきたかったためです


6月の下旬から休職をしていた過程で
毎日の生活を何気なく過ごしていたら



働いている時となんら変わらないのでは?



自分自身に疑問を呈し


だったら何かある、ないにしろ毎日自分の出先や
なんとなくシャッターを切った景色を
記録として残しておきたいと考えました


実際にその記録は
あの頃の自分の感情や気持ちのむいているベクトルを正確に捉えていて


現像したフィルムを見返すときには
なぜか少し照れ臭く見返すのでした



2つ目は、ざっくりと「視点」を養うということです


カメラを撮るということは
その瞬間を切り取ることでもあると思っています


それがフィルムカメラとなると
36枚しか撮ることができないフィルムの中の
一枚を撮るということで写真の一枚一枚に重みが出てきます


そのために一枚を撮るため
より丁寧にカメラと向き合ってシャッターを切ります


より丁寧にというのは
iPhoneのカメラのように何枚か撮って良かった一枚を残す。それができないので
一枚のコストを考え、丁寧に撮ろうと思えるわけです


その一枚をどこで撮るのか、どう撮るのか
どんな写真として残したいか、どう見せたいか



それらを考えるようになります


物事を捉える視点というのは
大抵まずは一方向からしか見ることができません


正面から見たらその正面が最初の印象として写り
横から見たらその横からの表情でその人を判断します


その視点というものを
もっと広くもって物事を捉えようと考えたのでした


どうしても良いと思ったことには
その方向からの良い一面以外が盲目的になり
もっと良いと思う点や、実は良い点に隠された影の立役者がいたりとか
そういうことがあることも見落としてしまいます


自分が見て良いと思ったことを写真に写すには
なぜ良いと思ったのか、それを考えなければ写せません


例えば
何気ないお洒落なお店も
実は森の中にあって自然と融合しているからこそ
都会のお洒落さとは違う非日常空間も醸し出しているわけで


その周りの自然と調和している所も
ちゃんと捉えなければ良いと思って撮った写真も
良さが伝わらずに写してしまいます


その勿体なさをなくしたいと思い
視点を養うというために撮り続けました



視点を養う


視点を養うという点で
それはカメラに限らず日常にも還元できるかなと思います


人に何か言われた時も
その言われた内容だけを鵜呑みにせず


いつ、誰に、何を、どのように、どの状況で言われたのか
その指示の背景にある意図も理解できるようになると思います


他にも

先入観だけで物事を判断してしまったり
一方向へ感情的になってしまったり


そういうこともなくなるのかなと思います


きっとまだその視点を養うためのスタートラインに立ったばかりです


そしてぼくはその「視点」を養うために
メディアオピニオンやブロガーとして活躍される塩谷舞さん
の定期マガジンを購入し

視点」という文章から
インプットして学んでいこうと考えています




この今回の夏のきっかけをもとに
視点を養っていきたいと思います



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